インスタント化された社会は果たして豊かなのか

楽々 カウンセラーの独り言

世の中では、効率性や経済性という観点は決して放棄できないものになっています。実はカウンセリングにおいてさえも、効率性や経済性が議論に挙がることがことがあります。

本日の話題の内容は少し、ストレスやリラックスからは遠のきますが、それでも人間の心理を感じる内容です。

インスタント化された社会は豊かなのか

我々の食生活一つ例にしても、インスタント食品がどんどん増えてきたという歴史があり、インスタントは即座に食事の準備を可能にしてきました。

このことは、我々の社会生活にも大きな影響を与えたことでしょう。

夜食という言葉がありますが、現代社会においては真夜中であっても、コンビニエンスストアなどを利用すれば、容易にボリュームのある食事を手にすることができるのです。

食事を作る時間や、材料の買い出しなどの時間は全て節約され、既に加工済みの食品として保存することで、消費者側にとってはいろいろな手間暇を省けるわけです。

その分の時間を別な方向に向けることも可能になったわけですから、効率性が増していると考えられます。

果たしてそれで良いのか

一方で、「しかし果たして、それでいいのだろうか?」という議論をよく耳にすることもあります。

それは、「インスタント化することで、得たことが多いように感じる一方、失っていることも多いのではないか」という主張だったりもします。

しかし、「今更生活様式を変えられないでしょう。」という主張もその後に耳にすることがよくあります。

一度発展した交通網を、もっと時間をかけてゆっくりしか進めない交通様式に変えようと主張してもなかなか賛同は得られないでしょう。

本物への未練を感じる

話が飛躍してしまいましたが、逆に効率性を求める中に、原点への執着を感じることもあります。

例えば、コーヒーにそれを感じます。紅茶もうそうかもしれませんが、特にコーヒーに強く感じます。コーヒーに関する加工食品を観察してみると、かなり完成度が高いように見えるのです。

ドリップで淹れたコーヒーそのままのようであったり、インスタントと呼んでいいのかと思えるほどの味わいを感じることもあり、時には、インスタントの方がいい味がすると感じることも・・・

おそらく、あれらを作った方々は、本当のコーヒーが好きだったり、味を知っていたり、コーヒーを飲む人のこだわりをかなり研究しているのでしょう。

インスタントというと、間に合わせ的な感じの響きがありますが、缶コーヒーならばどこでも飲めるわけですから、本当のコーヒーを缶コーヒー化できたとしたら、それはドリップ不可能だった場所でもコーヒーを飲むことを可能にしたとも言えるわけです。

こんなことを考えていくと、食品開発は人の心理を対象にしている面が多々あると感じるのです。

つまり本当は味気ない世の中を望んでなどいないということになるでしょう。

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