現代社会は、同居する家族の変容にも見られるように、大人数から少人数が増加しました。
また、家族に限らず地域との関係や職場の同僚同士などの関係にも変化があり、隣人の名前を知らなかったり、同僚と顔を合わせず仕事をする人もあります。
孤立は内閣官房も意識し始めた
都会で、人知れず暮らす人はどのくらいの人口になるでしょう。
たくさんのアパートが柏にも広がっているわけですから、そこには独居世帯がたくさんあります。
実は、最近になって孤独・孤立への対策を内閣が意識し始めています。イギリスだったかフランスであったか記憶は定かではありませんが、既に政策としての動きがあったのだそうです。
都会では本当に誰とも関わらずに暮らしてしまえる
もちろん、スーパーの店員さんと顔を合わせることや、病院を受診したら医師と話すなどの関係はありますが、要するに面識のある友人や近所の人、親戚などが近くに居なくとも現代社会では生活が出来てしまいます。
24時間空いているお店もあれば、タクシーを呼ぶこともできます。
生活に必要なたいていの事はお金で解決できてしまえるわけです。
人々はこのような社会を求めていたのか
これは、求めてそうなったのか、効率化していった結果としてそうなってしまったのかわかりません。
ある程度の誤算もあるだろうし、こんな風になるなら大型店を招致しなければ良かったなどと嘆いている方もあるかもしれません。
元々、人間関係や地域関係を煩わしいと感じていた人も少なくはないのだとは思います。
好きでそうしている人、実は孤立に追い込まれた人
煩わしさを感じていた人は、好きでそうしている面も多々あるのでしょう。一方、気が付いたら独居20年で、コロナ以降、誰とも会っていないなどという風な方も多い事でしょう。
家族のある人は、毎日誰かしらと他愛もない雑談でもするのでしょうか。
独居20年の、在宅ワーカーは歌でも歌わなければ声を発しないような日々が本当に続いてしまうでしょう。
そして、ひたすら誰からもメールや電話も来ないというのはがっかりするものです。
自粛生活なのだから時間はあるのではないかと思って電話してもなぜか通じないものです。
それほどに自分はその人にとって不要な存在なのか?と自尊心をも打ち砕かれてしまうかのような思いをなさった方は全国各地にいるのではないかと想像しています。
昔観た映画に、わけあって世界が終ることになった時。妻と過ごそうと自宅に戻ったところ、既に姿はなく荷物をまとめて一目散にどこかに行ってしまったという笑えない場面がありました。あなたと最後の時をともにするなんてまっぴらだわということなのでしょう。
土壇場で自分の存在理由がぐらついたかのようであります。
これは、仲間外れに近い話にも思えて来ます。修学旅行のグループを決める時、仲の良い者同士はすぐにくっつき楽しそうでしたが、そこからあふれてしまった人の思いたるやいかがなものでしょう。
しかし、もう一つ思うのはそのようなグループには入らなくて良かったのではということです。もし入っていたなら別な傷つきを覚えることになったかもしれません。そういうメンバーと世界の終わりをともにするのもいかがなものでしょう。