音楽は誰のものでもなく、それをやってみたい人が楽器を手に取ります。
披露しない音楽には意味がないと言い切る人がいますが、決してそうは思いません。
ギターを通して精神性を深め、探求している
例えば、ギターを弾く人はどこか魅力的に見えることがあります。
見栄えばかりに拘った人もいれば、しっとりした印象の人、どこか異世界な感じのする人など様々な魅力を持っています。
誰かに聴かせたいという動機からギターを持った人は少なくはないと思いますし、誰しも多少はそういう気持ちをもっているものです。
ですが20年も経つと、どこにしまったかさえわからなくなているものです。
一方、長い友としてギターに親しむ人もいます。
あるフォークシンガーだったように記憶していますが、(50代くらい)まだ自分でギター弾いてる奴なんて馬鹿だね、などと言っており、当人はプロのミュージシャンに任せてしまっているようでした。
カタルシス
私は臨床心理士なので、こういう言い方をしてみますがフロイトの本などを読めば登場するのがカタルシスです。
もし自分の表現したい気持ちがあったとき、人は日記を書いたりするものです。
それにより何か気持ちが晴れたりきもちがすっきりすることもあります。
この場合、その人の場合は日記であったに過ぎず、別な人は絵でも描くことでしょう。言葉にならない言葉は絵の方が表現しやすいこともあります。
ギターも同様の事が言えないでしょうか。
例えば振られたときなど、悲しい歌をつま弾きたくなるやもしれません。
カタルシスとただのストレス発散の道具のように聞こえてしまいますが、その次元におさまらず、もっと深い意味での精神性探求の道具となっていることは言うまでもありません。
カタルシスというよりは、「瞑想」・「トランス」という方が近いこともあるでしょう。
楽器は100年でもおそらく永らえる
バイオリンの名前でよく、ストラディバリウスを聞きます。
あのバイオリンは、300年くらい前に作られています。
その辺で買ったギターであっても、100年はいけるのではないかと思います。
もちろん、コンサートで演奏できる水準であるかどうかは抜きにしてですが、50年くらい前のギターは普通に出回っています。
引きずり出されない事
ギターを弾けることが誰かに知られると、引きずり出される可能性があります。
もし出たいのならば良い機会となりますが、気分が乗らない方は出ない方をお勧めしたいところです。
恥をかかされたり、なぜか因縁をつけられることもあります。
大事な世界を他人に見せる行為は非常に危険を伴う事でもあります。
せっかくの世界観を台無しにされるのは大変もったいない事だと思っています。