我々がリラックスできないと感じる時、それはもしかすると背景に評価を意識せざるを得ない状況があってのことかもしれません。
想像しやすいのは職場です。職場でくつろぎ切れる人も中にはいますが、上司の目が光っているかと思うと一日中気が抜けないものです。
また自宅であっても、風呂掃除の完成度が水準に達しているのか?などと身内の存在を感じている時にはリラックスはしにくいでしょう。
実は、対人援助職も常に評価の目に曝されているのです。
誰にも評価されない空間を持つには
一つには、お金で解決することでしょうか。
これは非常に聞こえの悪い表現です。この時点で拒否反応を覚える方もあるでしょう。
そのため、実践することに罪悪感を覚える方もあるかもしれません。それでもいいとわり切れる人には一つの方法でしょう。
ちやほやされる場所
失礼な発想とは存じますが、例えば、空いている飲食店で色々一品料理を注文してみるのはいかがな心地でしょう。
お客様になれるのですから、店員さんは常識の範囲で常にお客様扱いしてくれるのです。
こういう場所では、きっちり支払いできればつかの間の安息を体験できるかもしれません。
買い物にはまる人の心理も、これに近いかもしれません。
しかし不愛想な店主などの店舗では気分を害することもあり、よく飲食店でクレームが生じているのは、安息を求めに来た人が安息できなかったという叫びなのかもしれません。
飲食店は、実は底知れぬ癒しの力を秘めているようです。
動物と触れ合う
これはあまりお金とは関係ありません。
動物にも気まぐれな猫などいますが、概ね人に友好的な動物もいます。
彼らとのふれあいの時間は、人間社会で気兼ねするようなことを意識させられません。
しかし、動物との接触は現代社会において実は様々な制限が加えられています。
もし鳥と仲良くなろうと思って、米粒でもバラまいたなら、近隣住民からたちまちに苦情の的になります。
得意分野の集まり
もし、英語に自信がある方なら英会話の場所などへ出て行くとどうでしょうか。
もちろん、その実力の程は伏せて参加します。少しだけ勉強したくらいです・・・などと言っての参加です。(ここで自信満々では墓穴を掘ることになります)
他の人は、英語をはじめたばかりの人達ですから、評価に圧倒される必要性がなくなる可能性があります。
つまり、得意分野で過ごせる時間は、エネルギーの良い流れが生じる場所とできるわけです。
対極をイメージする
逆に危ない雰囲気の研修会などに近づくと、恐怖体験をすることになります。
その対極の体験を追うと、おのずとリラックスに近づけるのではないでしょうか。
風、風、風
そよ風に吹かれるような時間も超スピードで突き進む現代社会を忘れさせてくれます。
風に吹かれながら、大堀川に沈む夕日を眺めるような時間は無駄な時間でしょうか。
無駄と言われそうです。それが現代社会的な答えでしょう。
誰も知らない場所には、話の通じる人はいない
自然界に癒されることは大いにあると思います。
もう一つには、人の中で癒されるためには、矛盾するようですが人に合わなければなりません。
空に話しかけても何も応えてはくれないものです。
そのため、安全性の高い交流をする必要があります。
昨今は心理的安全性などとようやく言われるようになってきました。
まとめ
リラクゼーションは、安心感のある場所であることを前提とするものと考えています。
技術的なことはその次なのかもしれません。